自分で云ってはいけないコト

昨今は「ゆるキャラ」というのがブームだが、「ゆるキャラは『ゆるキャラ』と名のり出した時点で、もうすでにユルくはない」と思う。自称「天然系」という人間がホントに天然系であったためしがないのと同じ話である。

「ゆるキャラ」も「天然系」も共に、第三者から「あれは××だネ」と云われて初めて成立するものであって、決して自称する類のものではない。けれども今は多くの人たちがそのあたりを臆面もなく口にするようになって、こっちのほうが恥ずかしくなってしまうのである。

「かわいそう」というコトバの受け取り方は人によって様々で、「絶対に云われたくない!」という人も少なくない。それは侮蔑的な物云いであり、同情なんかされたくない、というのである。ちなみに、僕のばあいはソコにさほどのこだわりはなく、「赤字続きでかわいそうに・・・」と云いながら『薔薇族』をわっさわっさと買ってくれるお大尽は大歓迎いたします。

それはさておき、口にこそ出さないものの、自分を「かわいそう」だと思っている人がいる。いや、「あなた、かわいそうですね」とか真正面から云ったらきっと激怒されるんだろうが、内心ではあきらかに「私はかわいそう」だと思っているのである。

過去の話を聞けば、なるほど哀しい生い立ちをしてきているのでそう思うのも仕方ないかとは思うのだが、それでもやっぱり「私はかわいそうな人間である」というオーラは出さないでほしいのだ。それは「ゆるキャラ」や「天然系」なんかと同じく、自分から「私って××でしょ」と云うモノではないはずだから。

これは僕の見てきた範囲で感じたことなのだが、自分を「かわいそう」だと思っている(であろう)人というのは、往々にして「他者に非寛容」である。「私はずっと損をしてきたんだから、誰よりも優遇されて当然!」という心理なのかも知れないが、それはあまりに不幸すぎる構図である。

このあたりは「理」と「情」のバランスの問題なので、赤の他人が軽々に「やめろ」と云えるものではないんだけれど、少なくとも「社会(政治)運動」にたずさわる人にだけは「やめといてください」とお願いしたい。私怨に根差したアクティヴィズムなんかでは誰も幸せにはできないと思うから。

『薔薇族』では、ゲイ界のこのあたりの「しこり」をとっぱらう為の策をあれやこれや講じているんだけど、先はまだまだ遠そうである。この試みを今後も続けていきたいから、「赤字続きでかわいそうに・・・」と云いながら『薔薇族』をわっさわっさと買ってくれるお大尽が現れてくれるといいなァ~。

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