リアルタイムで読んでましたよ、ゲン。

中沢啓治氏の漫画『はだしのゲン』を、「発達過程の子どもたちが読むのにふさわしくない残酷描写が多すぎる」との理由から、松江市教育委員会が市内の公立小中学校に「閉架」措置をとらせた・・・というニュースが流れて以来、様々な意見が電波・出版・ネット上で開陳されている。

1972年に連載が開始された『はだしのゲン』は戦中戦後の日本社会、そして壮絶なる原爆被害について、作者の中沢氏の実体験を描かれたもので、当初の掲載誌は『少年ジャンプ』だった。僕は当時、小学2年生で、リアルタイムで毎週読んでいたクチである。

今回、「子どもたちが読むのにふさわしくない残酷描写」とされたのは原爆被害の描写ではなく、「日本軍が海外で行なった蛮行」として描かれた部分だそうだ。「閉架処分もやむなし」とする人たちの中には、そこが「特定のイデオロギーに毒されていて偏向しすぎている」という声も多いようだった。

現役の子どもとして同作に触れた当事者として云わせてもらうなら、当時の僕たちはわりと冷静に読んでいた。残酷な描写は確かに多かったが、まァ残酷性の伴わない戦争なんかは有り得ないだろうし、そこのところも嫌悪とか恐怖とかではなくて「ふ~ん、戦争ってこういうものだったんだ」と、あくまでも「メディアから得る情報」として仕入れていたのである。

今では想像もつかないだろうが、当時のジャンプは8月になると必ず反戦テーマの読み切りが掲載されたり、レギュラー作品の中に戦争を扱った回が登場したりしていた。うんこ漫画の嚆矢(・・・といってもアレ以外に同ジャンルはないけれど)としていまだに多くのファンを持つ『トイレット博士』(とりいかずよし)なんかでも出てきたのである。

それらを読んで作られていった「国家観」「戦争観」というのも確かにあったが、それをずっと持ち続けているわけでは勿論なく、その後に読んだ本や実体験などを通じて、絶えず補完されたり改められたりしている。だから人並みの知的好奇心やら向学心がある人間ならば、たとえ幼少期にゲンを読んだところで、一部の人々が危惧しているサヨク洗脳とかはされる心配はないと思うんだけれども・・・。

『はだしのゲン』を「偏向しすぎている」と糾弾する人に云いたいのだが、ゲンはべつに「教科書」ではなく、戦争と原爆によって家族を奪われた一作家の情念をつづった「作品」であるわけだから「偏向していて構わない」と思うのである。

生前の中沢氏は、ゲンがマンガ研究の題材にされることをあまり好んでいなかったと、先日観たドキュメンタリー内で夫人が語っていた。あくまでも「自身の怒りや悲しみを後世の子どもたちに知ってもらうための素材」であったのだとすれば「偏向していないほうが」おかしい」のである。

「色んな角度に偏向している言説が無数にあって、それを市民自身が自由に取捨選択できる」というのが良い世の中だと僕は信じているので、「おおいなる偏向作家」の大先輩である中沢氏の作品は、やっぱり容易に読めるといいと思うなァ。

そして同時に、あくまでも「公立小中で閉架処分にされた」だけであって、べつに「焚書」にされたわけじゃないんだから、ゲンを子どもたちに読ませたい人たちは、私費でどんどん購入して子どもたちの集まる場所に置きまくればいいのに・・・という気もする。学校というところが極めて保守的で事なかれ主義が横行する場だというのは、今に始まったことじゃないし。

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