学校に落語の授業を

「落語とは人の業(ごう)の肯定である」と看破したのは故・立川談志師匠であるが、そうした認識が今の世の中には足らなすぎる。アホなことをした輩が一定のペナルティを受けるのは仕方ないことかとは思うが、被害者でもない人間たちが被害者よりもデカい声をあげながら、寄ってたかって加害者を吊し上げるのはいかがなものか。「アンタかてアホやろ ウチかてアホや」なんてのが流行語となるユルい時代を知る世代としては、背筋に冷たいものを感じます。

小学校時代から落語が好きで、ソコツな人々がソコツな事柄でアタフタするような噺を楽しんできた者としては、いっそ落語を正式な授業として義務教育のカリキュラムに組み込んでみてはどうかと思う。落語というのはある意味、どんな宗教書よりも深い「愛」を説いている気がするのだ。箸にも棒にもかからないようなダメダメな人たちを、あれほど慈悲深く包み込んでいる文化はちょっと他に見当たらない。

「ダメであるコト」の上に胡座をかいて開き直るような奴は好きではないが、「ダメであるコト」にまったく非寛容な昨今の風潮はもっとキライである。僕もいいかげんダメなオトコであるが、ダメはダメなりに頑張っているし、他者のダメな部分もそれなりには受容しているつもりだ(もちろん、許せん連中も多いけど)。こうした部分は、やっぱり落語に触れ合う中で身についたもので、やっぱりアレは情操教育に意義あるものだと思うのである。

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