騒ぐ奴ほどすぐ忘れる

1954年にアメリカが行なった水爆実験で静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の船員が死の灰を浴び、放射性物質を含んだ「マグロ」や「雨」などの恐怖(水爆マグロとか放射能雨とか)が日本を襲った。それによって国内で反米感情や原子力アレルギーが高まったが、けっきょくは大手メディアによるポジティヴキャンペーンによってウヤムヤになってしまった(そして「核の平和利用」「猛獣も飼い慣らせば家畜」等のスローガンのもとに国内にも原発が建造された)。

その後、日米安保反対などを旗頭にかかげたデモ闘争が学生らを中心として巻き起こったが、そちらも「あさま山荘事件」や「よど号ハイジャック」などを境に収束の一途をたどった。「アンポハンタイ!」と威勢よく叫んでいたような面々も大半は就職し、学生運動は単なる「青春の1ページ」になってしまっていたりする。

僕が何を云いたいのかといえば、「カンタンに騒ぐ人間ほど、自分がかつて思って(やって)いたことをカンタンに忘れてしまう」ということだ。「声を上げる」ということ自体を否定はしないが、「熟考することなく感情的に」というのでは困るし、ましてや「周囲がみんな騒いでいるので」なんてのは論外もいいトコである。

派手にバッとやってすぐに燃え尽きてしまったのでは何のためにやるのか判らない。「たんに自己満足のためでしょ?」と云われても返すコトバがないだろう。せっかくの行動が「いっときの爽快感を得る」だけのもので終わらないよう、運動のエネルギーは小出し状態で有効に使っていきたいものである。そう思わないスか?

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