過度の期待は子どもの負担

アメリカで、「新しく生まれたわが子をメシア(救世主)と名付けようとしたら州に拒否された」という騒動が起きたという。日本でも以前に「悪魔」という名を子どもに付けようとして却下された親がいたが、どちらも別にギャグのネタとしてその名を選んだわけではないだろう。かなり真面目に親としての思いをこめて、その名を選んだに違いない。ただ、その真面目さが空回りしているのだ。

僕の小学生時代に、初対面の相手であれば「・・・え?」と訊きかえすであろう「凝りすぎた名前」を持った名前の同級生がいたが、正直、当人はソレをかなり嫌がっていた。たぶん相当な期待と崇高なる理想をこめて命名したんだろうが、残念ながら世間から見れば単なる「珍名サン」に過ぎない。

親にむかって「わが子に期待しすぎるなヨ」と云うのは酷かも知れないが、期待があまりに大きすぎるとやっぱり子供はたまらない。ましてやそれが一生ついて回る「名前」にこめられてしまったのでは、なおのことである。善意が結果的に憎悪を産む、というのはあまりに悲しい話なので、まァ期待はソコソコに。

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