自由と無秩序

「教育勅語を復活させよ!」みたいなムチャなことを云うご年配者には困ったものだが、「親だから、教師だからといって子どもに指図する権利なんかない! 俺たちは全てにおいて自由なんだ!」みたいにムチャクチャな若者というのも頭のイタい存在である。こうした極北人種同士が、なんとかして持論を「日本の常識」にしようと躍起になっているんだから、世の中が混乱するのも道理である。

「年長者の云う事には、たとえ理不尽な事柄であっても従え」というのはまったくもってナンセンスだ。ただし、「年長者の云う事はすべてナンセンスである」という若者論も全然、理に叶っていない。「若い」ということは、つまり「経験則で考えられる範囲が狭い」ということだから、「若者だけで決めた事柄」には「未熟であることに起因する瑕疵(かし)」というのが必ずあると、僕は思うのだ。

若者の中には「自由」と「無秩序」をはき違えている人間が少なからずいる。よく「他人に迷惑をかけなければ、何をしても自由だ」ということを云う者がいるが、確かにそれは理屈的には合っている。けれども現実にそうかといえば、ちょっと違っていたりする。当人が「他人に迷惑をかけていない」と思い込んでいる事柄が、じつはものすごく「周囲に迷惑をおよぼしている」ケースというのが結構あったりするのだ。

かつては自分もかなりそのテのことを云ったりしていたのだが、いま振り返ると「周囲に迷惑かけっぱなし」だったりする。たとえば僕は子どもの頃は「原発推進論者」だったのだが、その当時は「事故が起きれば死ねばいいだけの話だろう? それをちゃんと覚悟してるんだから、誰にも文句を云われる筋合いなんかない」とうそぶいていた。しかし実際に事故が発生してみると、「人間以外の生物に多大な被害が及ぶ」ということが判った。そして、それまで無視してきていた「たとえ事故が起きなかったとしても、核のゴミの始末はどうするのか?」という難題も突きつけられたのである。とてもじゃないが、「人間のニヒリズム」ごときで片づけられるレヴェルの事柄ではない。

話が横道にそれたが、自分が「自由」だと思って要求していた事柄が、成長してから見返したら単なる「無秩序」に過ぎなかった、なんてことは多分誰にだってあると思う(自分を見返せるだけの理性がなければ無理だろうが・・・)。むろん、それは若者だけの話ではなく、自由と無秩序をはき違えている年寄りだって大勢いる。だから、これは全世代に云えることなのだが、「自由と無秩序は似て非なるもの」だということを覚えておかないとヤバイっスよ。

毎週末「読者茶論」をオープン中
詳細情報はこちらから

『薔薇族』最新409号発売中
お求めはこちらから

年間定期購読もよろしくお願いします
お申し込みはこちらから