少数派=弱者、ではない

マイノリティ運動の活動家の中には「社会的弱者である我々の権利向上を!」というスローガンを行動原理にしている者がいるが、必ずしも「少数派=弱者」ということにはならない。世の中は、とかく「数の論理」で動かされがちなものだから、なんだか「多数派」が取り仕切っているような印象を受けがちだが、じつはちょっと違っている。

世の中を動かしているのは、いつの時代も「極端な権力を握った、ごくごく一部のエライさん」なのである。国民の大多数を占める「中~下ランクの人々」は、そうした「支配階級マイノリティ」に踊らされながら、日々のウップンを「被差別階層マイノリティ」を踏みつけて晴らしたりする。嗚呼、なんたる不毛な図式であろうかや。

とはいえ、多数派に属することは「根拠なき安心感」というのがあるから、人間にはどうしても大勢で固まりたがる傾向がある。そして「群れをなすと気が大きくなって横暴になる」という悪癖も有している。この構図は面白いことに「少数派コミュニティ内でも再生産されている」のである。要するに「社会的弱者とされているマイノリティ」であっても、集団になると、その中で「ふんぞり返って横暴な振る舞いをするヤツ」と「横暴なヤツに蹂躙されるヤツ」とが出てくるのだ。

そうした構図を数多く見てきた僕は、だから「あの人は社会的に蹂躙される立場にある少数派だから、みんなで支えてあげなければならない」というモノ云いには賛成しかねるのだ。「社会的に蹂躙されている少数派」であっても、「仲間うちではゴーマンな独裁者然としてふるまうクソったれ」というのが少なからずいるからだ。

たとえばゲイの中には、「気弱な同類や女性に対しては『悪い意味での男らしさ』を発揮して抑圧的行動に出る」ような輩がいて、そういう意味からも僕は「少数派=弱者ではない」と思うのだ。結局、多数派であれ少数派であれ、金持ちであれビンボー人であれ、「群れはなさないほうがイイ」ということである。それを肝に銘じているので、僕は『薔薇族』を「2人」という最小限メンバーで作っているのである。本なんてのは「字を書く者」と「絵を描く者」とがいれば作れるンだもんネ。

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