お願いだから「好悪」は自己判断で

以前にみたネットのQ&Aサイトに「××さん(←とある女性作家)の評判が良くないようなんですが、実際はどうなんでしょう?」という問いがあって、「ワンマンで短気な人らしいですよ」的な「回答」が寄せられていた。それを読んだくだんの質問主は「やっぱりそうなんですね。ありがとうございます。私も××さんのことは信用しないようにします」といったコメントを寄せていたんだけれども、イヤハヤなんとも異次元的なやりとりだなァ・・・と、何やらそら恐ろしい気分になった。

僕にも「嫌いな奴」というのが馬に積んで行商に行けるくらい存在するが、それはいずれも「対面のうえで嫌いになった」面々である。風評やら風聞やらに左右されて「実感もないのに何となく」嫌っているケースは、自慢じゃないけど一例もない。誰かを「嫌いだ」と口にする(あるいは書く)というのは「相応の責任を負わねばならない行為」であるので、軽々しくするモンではない。いうなれば「他人を斬る」ワケだから、「返り血を浴びる」のは当然だし、最悪の場合は「逆襲されて斬り殺される」ことも覚悟する必要があるのだ。

「実感もないのに、誰かを何となく嫌う」というのは「イジメ」の元凶でもあるので、その悪癖が子どもにしみつかないよう親や教師は協力しあうべきである。でないと将来、ワケの判らん抗議系政治団体にいいように利用されたり、カルト教団の兵隊にされたりするかも知れないヨ。誰かを「嫌いだ」と云うコト自体は何ら問題ないのだが、それはあくまで「自己判断」で行なわれたし! でないと、根拠ない理由を並べ立てて日本をバッシングする外国人のことを笑えなくなってしまうのだゼ?

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