下品と下衆(げす)

「ギャグ漫画の王様」として昭和30~40年代に一世を風靡した赤塚不二夫センセイが、弟分ともいえるタモリ氏にかつて「おいタモリ、下品は良いが、下衆はダメだ」という「遊びの哲学」を指南したという。

たとえば僕も下ネタが大好きで、赤塚&タモリコンビほど過激な持ちネタ(ローソクショーとか)はないものの、それなりに下品な遊びを満喫しております。べつに自己弁護するわけじゃないけれども、「みんなで笑って楽しめる種類の下品」であれば、それはある意味で「癒し」にすらなると思うのである。

しかし世の中にはそうでない下品、つまり「癒しとは正反対の下品」というのが数多くある。それは云い換えれば「下品であるという自覚のない下品」「テメエを高尚だと勘違いしている下品」みたいなものだ。そーゆー輩は、自分が笑っちゃうような姿をしていることに気づかないまま「どーだ、俺はカッコイイだろう! さァ、どんどん俺を褒め称えよ!」とふんぞり返っているのである。この類の手合いがつまり「下衆」なのだ。

いま挙げたサンプルみたいな連中をウンザリするほど見て(見せられて)きた僕としては、だから「下品は良いが、下衆はダメだ」という哲学というか美学みたいなものを大事にしたいのである。というわけで、僕は「矜持ある下品」をこれからも追及していこうと思っているのであります。ヒヒ。

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