本当の「ゆとり世代」は・・・

昨今、何かとネガティヴな文脈で語られることの多い「ゆとり世代」。もはや半ば「忌み語」扱いされている感が強い。しかし、この間ふと思ったのだが、真の意味での「ゆとり世代」とは、じつは僕ら(1960~70年代生まれ)だったのではないだろうか。

もちろん、当時だって受験戦争で疲弊させられたりする子どもはいたし(怪獣ブームにひっかけて「教育ママゴン」なんて揶揄するマスコミもあったっけ・・・)、「詰め込み教育」を問題視する声も上がっていたが、しかし今ほど「エリート性」を求める動きはなかったし、少なくとも僕のような「庶民の子ども」たちは総じて「ノンキ」だったと思うのだ。

振り返れば小・中・高と、僕の親しかった連中の中で「塾」と名のつくものに通っていた奴は誰一人いなかった(そろばん塾すらナシ)。学校が終われば夕方5時を知らせる工場のサイレンが鳴るまで遊び、家に帰ったらテレビ→夕飯→テレビという怠惰なスケジュールをこなし(宿題は「たま~にマジメにやる」程度)、8時頃にはボチボチ寝る支度をはじめる・・・そんなのがまァ、ウチらの「平均的タイムスケジュール」だったのだ。

後年の、役人がわざわざ「ゆとり」と銘打った国の教育方針転換は、僕らから見れば全然「ゆとり」という感じがしない。学校の授業時間を減らし、カリキュラムを単純化したところで、浮いた時間を「塾通い」に割り当てられるのならば、そこに「ゆとりを感じる余地」なんかないじゃないのサ。

僕らの子どもの頃は「高望みさえしなければ、食うに困らない程度の仕事には誰もが就ける」時代で、「だから親も子も基本、ノンキでいられた」ということはちゃんと判っているつもりである。しかし時代が変わっても「子ども」という存在の本質に大差はないと思うので、やはり「ノンキさ」は享受させてあげたいと思うのだ。

誰でも大人になればソレナリの苦労は味わうことになるのだから、せめてその前段階くらいはダラ~~ンとさせてあげたいモンである。まァ、そもそも子どもの身の振り方を左右する親のほうに「ゆとり」が少ない時代だから、難しいということは百も承知してるンだけどもネ。

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