「薄愛主義」で、どうかひとつ

他人に対する愛情、というのは有ることは有るけれども、「誰にでも平等に手厚く」というのができるほどの原資はない。たとえば肉親だとか恋人とかに対してならばソレナリに深い愛情を注げるが、通り一遍の関わりしかないような相手については、申し訳ないが、やはり相応の愛情しか注げないと思うのである。

しかし、それは「アタリマエのこと」なんではないか? 基本的に僕は「博愛主義」というのを信じていないし、生身の人間であれば「誰にでも平等に優しい」なんてことは絶対に不可能だと思っている。たとえば、あなたが恋人だと思っている相手が、あなた以外の相手に対しても、あなたと同等の愛情を注いでいたら、どう思います? 「優しくて素敵な人だなァ」とか思うだろうか。僕は思わないネ。「なんだコイツ、誰にでもウマいこと云ってンのかよ」とムカつきます。

だから、僕に云わせれば、「誰にでも平等に優しい」というのは「誰にでも平等に優しくない」のと同じなのである。少なくとも「恋人である自分」と「ちょっとした顔見知りの誰か」との間には「愛情量の格差」がなくてはやっぱりイヤなのだ。

そういうわけで、僕は人によって、注ぐ愛情の量は変えさせていただきます。「ちょっとした顔見知りの誰か」にも、もちろんいくらかの愛情はもって接しますが、まァ「ゴディヴァ」と「チロルチョコ」・・・いや、「チョコベビーの1粒」くらいの格差があることはご理解ください。「博愛主義」ならぬ「薄愛主義」ってことで、どうかひとつ。

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