「匿名性」は大事だから・・・

先日、「カナダにおける若者間のネットいじめ」について描いた海外ドキュメンタリー番組を観た。その中で「ネットいじめの元被害者」という少女が、憤った表情で「(ネットいじめを撲滅するためには)ツイッターもフェイスブックも全部なくしてしまえばいい!」と語っていた。

たとえば「大切な誰かを火事で失った人」というのは、たぶん「この世から『火』なんか失くしてしまえ!」と思うだろう。その気持ちも判らないではないが、しかし実際に「この世から火を失くしてしまう」ことは不可能である。

「火に比べればまだ確率は高い」とはいっても、現代社会からインターネットやSNSを消してしまうのは限りなく「ムリ」に近い。だからくだんの少女の気持ちは察せられるものの、「それはできないよ」と云わざるを得ないのである。

「ネットいじめ」なんてものが横行するのは、ネット社会が「匿名性」を基本スタイルとしているからだ、という意見がある。それも一理はあるのだが、しかし世の中には「匿名でしか語れない真実」というものがあるのもまた一方の事実。それが失われてしまうと「弱者による巨悪の告発」というのが不可能になる危険があるのだ。

「匿名でしか語れない真実」を守るためには、ネットいじめの温床たる「匿名で垂れ流されるデマ」というのを減らしていくしかない。とはいえその方法は「法規制」であってはいけない。世の中には「規制を増やすことが政治」だと思い込んでいるバカ議員がウジャウジャいて、ソイツらに「おいしいエサ」を与えてやることにしかならないからだ。

「悪貨が良貨を駆逐する」というコトバがあるが、ネット社会においては「ユーザー自身の手でそれを逆転させていく」必要があるのだ。「自主規制という名の同調圧力」ではなくて、「自らの純然たる意志」によって。それができるか否かによって、「インターネット」という発明の後世における評価は天と地ほども違ってくるんだよいなァ。

毎週末「読者茶論」をオープン中
詳細情報はこちらから

『薔薇族』最新411号発売中
お求めはこちらから

年間定期購読もよろしくお願いします
お申し込みはこちらから

都内の『薔薇族』委託店・新宿二丁目/新宿御苑すぐ前「模索舎」
MAPはこちら