「自由にモノが云える状況」が全ての前提だ

「集団的自衛権」や「原発再稼働」など、昨今は様々な問題が山積しているが、それでも僕は一貫して「児童ポルノ禁止法の強化(=子どものハダカ物件の単純所持の罰則化)」の脅威を何にも増して強く訴えていくつもりだ。

「そんなことよりも交戦権や放射能の問題のほうが喫緊の問題だろうがッ」という反論もあろうが、いやいや、こっちのほうが重要なのだ。なぜならこっちを放置すると「自由にモノが云える権利が奪われる可能性が大」なのだから。

「何がポルノなのか」すらもハッキリさせられない物件の「所持」を処罰対象にするということは、つまり「権力者側がその気になれば、誰でも『性犯罪者』として身柄拘束できるようになる」ことだ。『薔薇族』の連載「少年を愛することは罪ですか?」には毎回、この危うさについて細かく説明しているのだが、まったくもってオッカナイ話である。

「下手なことを云って権力者に睨まれたら、いつパクられるか分からない」と思えば、少なからぬ人間の声のボリュウが落ち、下手すれば「声すらなくなる」かも知れない。つまり政府は言論の自由を保障する憲法をいじくることなく実質「無効化」できるわけだ。

「集団的自衛権」や「原発再稼働」の反対を声高に叫べるのは、「自由にモノが云える」という前提が守られているからこそである。だから、それを担保するためには「児童ポルノ禁止法の改悪」を何としても阻止することが不可欠なのである。

その「大前提」に思いが至らないような人間は「自由の大切さを標榜する国の議員」にはふさわしくないので、選挙に出馬しても通らないようにする必要がある。それには我々が「よく考え、ハッキリモノを云う国民」になる必要があるんだけど・・・「ロクに物事を考えず、やたらデカい声ばかり出す輩」が多いのが現状なんだよなァ~。

これを読んだ方、とりあえず地元の議員に「児童ポルノ禁止法強化についての意見」を求めてみてください。反対であれ、賛成であれ、「キチンと持論を述べる勇気」があればよし。しかしもしもバックレるようであれば、そいつには「公人」たる資格がないということになる。「一般市民に迫る危機に無関心」ということだからネ。そういうのを「あぶり出し、再選させない」というのが、我々の最も身近な「政治運動」なのですワ。いやホントに。

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