「議員を変える」にはまず「有権者が変わる」こと

先週起きた「都議会セクハラ野次問題」は、様々な方面に飛び火しながら色々な意見を呼んでいる。とはいえ個人的には「またいつものパターンで、有権者側は一時的にカッとなるがすぐに怒ったことを忘れ、議員側は目先の嵐が収まるまではしおらしく振る舞い、ホトボリが冷めたらまたぞろ同じ愚行を繰り返すのかな」という気がしてならない。

大切なのは、有権者が「我々はくだらん悪習を踏襲させるために税金を払っているワケではない」という意思表示を議員側にすることと、二度と同じ轍を踏まないよう「永続的な監視体制をおく」ことである。追及も自粛も「一時的」で終わらせてはいけないのデス。

国会にしろ地方議会にしろ、近年は僕ごときでも判るほどに「議員の劣化」が著しく(「政治業者」ばかりが目立ち、「政治家」と呼べる議員は果たして存在するのやら)、僕のようなノンポリでさえ「何とかせねば」と思わされてしまう。

やはり「議会」というのはできる限り観に行かないといけませんな、というのが僕が今回抱いた感想である。「有権者の目があるから自粛する」というのはまこと情けない話だが、「多数派の暴力というものに無自覚な多数派」が多い状況下では、やはり「世間の目があるゾ」ということを絶えずアピールしていくしかないのである。

現代日本の議員に「公人としての自覚」を持たせるには外圧(プレッシャー)をかける以外にない、という結論に僕は至り、まさに今それを進めているのであるが、そこに一定以上の成果を期待するにはとにかく人数が必要なのだ。

今回の一件を「喉元すぎれば・・・」のパターンで終わらせないためには、「相手を変える」以前に「自分たちが変わる」ことが必要なんですゼ。

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