テレビは事なかれ、大衆は憎悪的執着

テレビは基本的に「事なかれ主義」で運営されている。「えー、過激なコト云ってるじゃん!」とか思う人もいるかも知れないが、いやいや、過激なコトを云ってるのは「テレビ自身」じゃなくて「テレビが呼んできた過激なコトを云うショーバイの人たち」なのである。テレビそのものは「感情」というのを持たず(出さず)、表向きは「穏やか」にふるまい、クレーマーに言質(げんち)をとられないように気を付けているのだ。

それとは逆に大衆は「感情をこれでもかとむき出しにする」のである。「たかがその程度のことにそこまで・・・」とヘキエキとするほどに感情、とりわけ「負の感情」をアカラサマにする。そのうえ執着の度合いもすさまじく、「もういーじゃん」と云いたくなるほどの粘着性も持つのである。

喜怒哀楽をひた隠しにするテレビメディアの在り方にはウスキミワルサを感じるが、感情(主として怒と憎)をやみくもに表出させる大衆というのもそら恐ろしい。様々な出来事に「刹那的」にしか関わらないテレビが、もう少し「執着」を持って巨悪に挑み続けたら・・・。あるいは些末な出来事に固執しすぎる大衆が、もうちょっと鷹揚で寛容な対応で微罪を許すことができたら・・・。大衆が両者をミックスしてちょうどウマイ具合に分離させられたらいいのになァ・・・と思っているのはたぶん僕だけではないだろう。

何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」。感情や執着が「無さすぎる」のも「有りすぎる」のも困りモンである。巨悪が見逃され、微罪が糾弾される現状をどうにかするためには、このあたりのバランスをどーにかしていかないといけないンだよなァ。

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