犯罪報道に関する危惧

様々な重大犯罪が「日替り定食」状態で報道されている昨今だが、各紙(誌)・各局ともに「速報性」にこだわるあまり、報じ方が「雑」になってしまっては困る。以前にも書いたが、容疑者というのは「警察が『たぶん犯人であろう』と現時点で目星をつけている人間」に過ぎないわけで、捜査の結果「無実だったと判る」ケースはザラにあるのだ(そして「冤罪」もたくさんある)。

それ以外で心配なのは「犯人と同じ属性(カテゴリー)の人たちがいわれなき差別を受ける」ことである。昨今の事件においても「あ~、これでまた偏見が強まるなァ・・・」と心配になる属性があったりして、そこに大衆のヒステリーが集中しないことを心ひそかに祈っている。

平成初期、宮崎勤事件による「おたくバッシング」を当事者として味わってきた世代である僕は、マスヒステリーの理不尽さはある程度、判っているつもりである。そこにはメディアの「無責任(場当たり的)な煽り」がかなり影響していたので、メディア・リテラシー(=報道全般に対する健全な猜疑心)というのはやっぱり重要なんだよなァ。

凶悪犯罪を目の当たりにしたとき、「許せない!」と憤るのは人として当然の真理だと思うのだが、怒るにせよ憤るにせよ「理性」だけは失わないで欲しいモンである。私刑(リンチ)みたいなものがまかり通るような野蛮な国になったら日本もオシマイなのですゼ。

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