「規制」と「無法」はワンセット

人を縛りつけるための法律とか条令とかを作るのが大好きな方々がいる。何かちょっと問題があると、すぐに「禁止法(禁止条例)を作れ!」と騒いで動き出す人種のことである。それは議員だったり市民団体員だったり色々だが、何にしても「禁止さえすれば万事丸く収まる」というのはあまりにも短絡思考すぎるというものだ。

当たり前だが、ルールでがんじがらめにされた社会が暮らしやすいワケがなく、決め事は少ないほど風通しが良いに決まっている。国政であれ地方議会であれ、少なからぬ議員が「法や条例を作ることが自分の使命!」と考えているようだが、僕に云わせれば「既存のクダラナイ法や条例を撤廃していく」こと情熱を燃やす議員がもっと増えてほしいところである。時代に置いて行かれ、どう見ても賞味期限切れになっているルールというのが、世間には色々とあるのだから。

とはいえ「規制」は「無法」とワンセットであるので、極端なルール破りをする輩が続出すると、それと比例して規制を求める声が高まっていく。それに呼応する形で議員や市民団体が動きだし、またひとつ新しい法や条例が生まれるのである。規制を求められるような極端なルール破りをする輩も市民であるわけだから、要するに「市民を縛りつける窮屈なルールが、市民のせいで増えていく」のだ。

2011年の創刊以来、児童ポルノ関連の過剰な規制にずっと反対し続けている竜超版『薔薇族』であるが、けっして規制推進派の議員だとか市民運動家だとかをやみくもに叩けば良いというわけではない。規制される側の人間(=小児性愛者)も襟を正す必要があるわけである。

難問を扱う際には、視野狭窄的な正義感や被害者意識なんかにおちいることなく、俯瞰(ふかん)的かつ多角的・多層的に取り組んでいく必要がある。それがどこまで実践できているのか・・・ぜひ一度、竜超版『薔薇族』を見て確かめてくださいナ。

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