不特定多数をアテにしない

近年はSNSなどの発達によって「一度も会ったことがなく、この先も一生会わないであろう友達」という、僕の理解の範疇を超えた存在を有する人々が増えているようだ。そういう関係性を僕が理解しづらいのは、会ったことのない人間というのは「ひょっとしたら実在しないかもしれない」と思っているからである。昔、ゲイ雑誌の文通欄が盛んだった頃には「実際にはいない美少年や美青年」と不毛な手紙のやりとりをしている人が結構いて、抜き打ちで会いに行って「ゲッ!」となるケースもあったという(怒りの手記が『薔薇族』に載ったこともあった)。

僕は、他人とは五感を通じて付き合わないと不要な誤解が生じたり、無駄ないさかいが起きたりすると思っているので、基本的に対面できない相手のことは友人とは認識できない。申し訳ないが、メールなどでしかヤリトリできない人とは最高でも「知り合い」止まりである。体温を感じられない付き合いにはどうしても本腰を入れられないタチなので、むしろソレが誠実だと思っているのだ。不特定多数ともなれば、もはやユーレイに近い認識で、存在を信じることすらもできない。だから何かを頼むのも、心の支えにするのも、目に見えて触れる相手(=特定少数)に限定しているのである。

アテになりえないモノ(相手)をアテにする人はいつか失望し、下手をすれば心を病んでしまったりする可能性もある。「友達は多いほど良い」が転じて「友達が多くなければいけない(恥ずかしい)」というような誤った価値観が流布している昨今だが、そうしたものに惑わされることなく「特定少数」の「真の友人」との関係だけを大切にしていけば、あまり深い傷をこうむることはないだろう(たぶん)。とりあえず僕は、目に見えるごく少数の友人を大切にしつつ、ボチボチやっていきますワ。

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