東京脱出バナー

東京を出るにあたって、いま急ピッチで進めている作業が「蔵書のカット」です。

目標に掲げているのは「仕事で使う以外の本は9割を処分する」という、俺的にはなかなかハードなもの。
俺の蔵書は「価値的にはたいしたことない」んですが、とにかく「量が半端じゃない」んですワ。
処分しても処分してもいっこうに減っていかない感じで、なんだか神様から罰を与えられてるような気分になってきます。

子どもの頃、雑誌とかで見る「蔵書家の書斎写真」に憧れ、「嗚呼、いつかは俺もこんな風になりたいもんだわい」と心から思ったりしましたが、そもそもあれが間違いだった!
実際にそうなってみると、積み上げられた本たちは邪魔臭いことこの上ないのです。
その置き場に少なからぬ住居費を払っているかと思うと、もうイライラばかりが募ります。
いや、それは「本が悪い」のではなく、「書斎を持つ甲斐性もないクセして際限なく溜め込み続けた俺が悪い」んですが……。

暮らし上手な人というのは「何かひとつ新しく買うと、古いものをひとつ処分する」そうです。
まぁ、そこまでストイックにならなくてもいいとは思うんですが、せめて「5冊買うごとに1冊」くらいのペースで処分できていたら、たぶんここまで悪化はしなかったでしょうね。
自分で自分に「こんなになるまで、どうして放置してたんだ!?」と、医療ドラマの熱血医師みたいなことを言ってやりたくなります。

それでもまぁ、努力の成果はちょっとずつながら出ているようで、絶望的状況だった室内にも救いの光が射し込んできました。
本の山がひとつ消えるたびに、ミニマムの女神様の「おめでとう!」という声が聞こえてくる感じで、精神衛生上、大変よろしい。
本がしこたま詰まった段ボールが古本屋に向けて旅立つのを見ていると血圧もちょっと下がっていく気がするので、高血圧な俺にとっては喜ばしい限りです(とはいえ、子ども時代からずっと読んできた作家の本は処分できませんが……。「柳沢きみお」なんかはその代表格ね)。

柳沢きみお

俺の場合、本以外の持ち物なんてたいしてありゃしないわけだから、蔵書さえ減らせれば『クロワッサン』あたりからインタビュー依頼が来てもおかしくない「素敵なミニマリスト」になれると思うんですよ(←個人の見解です)。
まぁ、かれこれ40年以上も「本まみれの人生」を送り続けてきたので、「世間並みの本の量しかない生活」というのがちょっと想像できないんですが、まぁきっとそれなりに楽しいと思いますよ。
少なくとも、本の山に向かって「燃したろか!」と怒鳴るようなことだけはなくなるでしょう。

そんなわけで「仕事で使う以外の本は9割を処分する」という当初の目標は割と順調に進んでいますが、処分対象でない本は「1冊も減らされることなく脱・東京を果たす」ことになります。
それは、高校生あたりからずっと集めてきた「セクマイ系資料」です。
マンガ、小説、ノンフィクション、論文、情報誌、専門誌、ミニコミ誌……等々、硬軟織り交ぜて様々な物が揃っています。
とはいえ、それらも「私物として所有するだけ」では単なる「死蔵品」にすぎません。
死蔵品だったら「無駄な本は持たないミニマルおじさん」へと生まれ変わる俺には無用の長物です。
わざわざ手間をかけて持っていくには値しません。

では、どうして捨てずに持っていくのかといえば、移住先に「セクマイについて知りたい人たちが資料を閲覧できる場所」を作りたいからです。
東京・神楽坂には「風俗資料館」という、戦後から今日に至るまでにSM誌やマニア誌を収蔵した会員制図書館がありますが、あれのLGBT版を作りたいんですね。
といっても、べつに「でっかい箱モノ」を建てたいわけじゃありません。
広さは、そう、六畳程度の……「資料館」ならぬ「資料小屋」でいいんです。

古書業界に詳しい方なら分かるでしょうが、「SM系の資料」というのは市場にかなり出まわっていて、だから「風俗資料館」も成立できる。
ところが、こと「LGBT物」となると、その数は大幅に減ってしまう。
「親族がそんなものを持っていたことを恥だと考える遺族」が闇から闇に葬ってしまうからでしょうが、だからなかなか古いものは出てきにくいのです。
ただ、「国内にそういうものが集まる場所がある」ということが周知されれば、故人の「恥の遺産」を持て余している遺族から秘密裏に譲ってもらえる……みたいなことだって、ひょっとするとあるかもしれません。

首尾よく資料小屋が持てたら、そこを核にして「セクマイが休日に訪れてくつろげる場」を作りたい、とも考えています。
とはいえ、そこを「セクマイを楽しませる場」にするつもりはありません。
目指すのは、セクマイ「も」楽しめる場、です。

これは俺がかねてから言い続けてることなんですが、「同類だけで固まった場」では「思考/思想の近親相姦」が起きやすく、考え方が先鋭化する危険が大なんですわ。
先鋭化した結果、周囲(世間)から「カルト」と見られるような集団ができてしまい、本来目指すべき「社会との融和」の真逆である「乖離」が進んでしまいます。
だから俺はこれから作る場を、セクマイもいれば、そうじゃない人もいる、「色々な価値観が混在した場」にしたいんです。

話を「資料小屋」に戻しましょう。
これまで「個人の所有物」だった資料を「世間との共有物」にしようと考えたのは、「より多くの人に、セクマイについて多角的な知識を持ってほしいから」です。
「多角的な知識を持ってほしい相手」はノンケさんばかりではありません。
そこには「セクマイの当事者」も含まれます。

「論語読みの論語知らず」じゃないですが、「セクマイの置かれている状況についてよく分かっていないセクマイ」は少なくない気がするんです。
それは、先ほど言った「思考/思想の近親相姦」の結果だったりする。
似た者同士で固まっているせいで「自分の現状を把握するための客観性」が失われてしまったわけです。

そうした状況を打破するのに、「そこそこの種類が揃っている」俺の所蔵資料を使っていきたいと思います。
「硬の人」には「軟の資料」に、「硬の人」には「軟の資料」に触れてもらい、「こんな世界(考え方)もあるのか!」と驚いてもらいたいのです。
もちろん、ただ本を読んだだけで一気に視界がひらけるものではありませんが、「これまで周囲に存在しなかった視点」の存在を知るだけでも、大きな意義はあると信じます。

ということで、ここらでそろそろ「持ってかない本」の処分に戻りたいと思います。
いや、まだまだ山ほどあるもんですからね。
早いとこ、永年の憧れである「無駄な本に翻弄されないミニマルおじさん」になりたいもんです。

421cv

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