東京脱出バナー

「風呂ナシ・トイレ共同の四畳半」を起点に、およそ四半世紀で「1LDKマンション」へと至った、竜超の東京ライフ。
住面積のアップに比例して家財道具もちょっとずつ増えていきましたが、それが当時は「嬉しかった」のです。
俺もまた、大半の日本人と同じく「デカい家に住まう=人生の成功」と考えて疑いませんでした。

俺が子どもの頃(戦後の高度成長期)の日本は、かつてないほど、そして異常なまでに「大きくあること」に憧れた時代でありました。
「大きいことはいいことだ!」
「隣の車が小さく見えまぁす」
こんなキャッチフレーズのCMが大流行し、「小さい=貧しい=ミジメったらしい」といった乱暴な価値観が世の主流となっていきました。
「でっかい家を建てる。それがデキる男の証だ!」みたいな信仰(?)が巷に流布し、多くの男が「自宅の平米数アップ」に血道をあげたわけです。
「田園調布に家が建つ!」なんて漫才のフレーズが流行語になったこともありました。

けれども俺は、もう「でっかくなる競争」には疲れたよパトラッシュ……。
だから、「最低限必要なもの以外は処分し、1人暮らしを始めた頃のシンプルさに戻ろう」と決意したわけです。
幕末期の江戸を見た西洋人が「日本人とは老人から子どもまでなんと幸福そうに生きてる人種なのだろうか」と驚いた、なんて話がありますが、これはたぶん「余計な物を背負っていなかったから」じゃないかと思います。

「何も無かった時代ほど楽ちんなものはなかった」
俺はこう考えています。
「持ち物がひとつ増えるたび、それを管理するための気苦労がひとつ増える」
これがまさに偽らざる実感なのです。
たとえば機械は構造が複雑になればなるほど壊れやすく、壊れた場合のリスク(修理費とか買い替え代とか)が増していく。
俺は根が心配性なので、精密な機械を買うたびに「壊れたらやだなぁ……」と、暗澹たる気分になります。
「調子が悪ければひっぱたく」みたいな単純な機械しか身近になかった時代には、こんな気苦労しないでよかったのにね。

そんなわけで、内臓脂肪のようにへばりついた「余剰家財」をひっぱがし、居住空間を縮小することで、人生のダイエットを思いついた竜超。
持ち金も持ち物も少なかったけど、だからこそ「気楽」でいられた頃への「原点回帰」を図りたいと思うのです。
さすがに「四畳半一間暮らし」は無理にしても、できるだけそのラインに近づけようと思っています。

……え? 「たぶん失敗するからやめておけ」と?
そうですかねぇ? 俺はそうは思いませんよ。
だって日本人の体内には「ミニマルライフの達人」のDNAが受け継がれているはずなんですから。

先ほど俺は「幕末期の江戸町人」について触れましたが、江戸というのは18世紀初頭にはもう「100万人都市」になっていたそうです。
しかし、敷地の7割近くを「武家屋敷」が占め、残りの3割を「寺社」と「町人の住まい」が分け合っていといいます。

ご存知のように、江戸=東京ではありません。
江戸と呼ばれていたエリアは、現在の行政区分で言うなら「千代田・中央・港・新宿・文京・台頭・江東区の全域」+「品川・目黒・渋谷・豊島・北・板橋・荒川区の一部」だったといいます。
たったそれだけの地域に100万人が暮らしていたというのも驚きですが、「全人口の半数を占める町人」がその中のわずか15%の範囲に詰め込まれていたのは、もはや奇跡の領域です。
スゴイを通り越して「ちょっと頭がアレなんじゃないのか」と思います。

町人たちの代表的な住まいが、時代劇でお馴染みの「長屋」という集合住宅です。
その代表的な間取りは「九尺二間(くしゃく・にけん)」というもの。
間口が九尺(約2・7m)、奥行が二間(約3・6m)だったことからこう呼ばれたそうです。
畳敷きの4畳半に1畳半の土間(玄関兼台所)がついた、今で言えば「1Kアパート」の間取りで、ここに親子4人ほどで暮らしていたといいます。

町も家も狭いから、当然ながら「余計なもの」なんかは置いとけません。
それ以前に、お金をたいして持ってないから「買えるもの」も限られている。
ゆえに、「必要最低限なものだけを厳選して所有する」ことになるわけです。
こうしたミニマルライフを「意識高い系の人が無理して」ではなく、「一般庶民が当たり前の事として」やっていた点がスゴイというか、素晴らしいというか。
「同じ日本人として、学ぶべきところは大きい」と心から思います。
というか、「九尺二間」って、俺が独り暮らしを始めたときの部屋とほぼ同じスペースじゃん!
だったら、やれんじゃないのかなぁ?

「昔やれていたからといって、すでに贅沢に慣れきった今のオマエにできるとは限らないじゃんかよ!?」
こんな疑問をぶつける方もおられましょうが、「できるか、できないか」を脳内シミュレーションしてたって一歩も前進はできません。
「できるか、できないか分からないけど、とにかくやるしかないのじゃ!」
前に進むためには、こう開き直るしかないのです。

人間て、半世紀も生きたらぼちぼち「人生のフィナーレ」について考えるべきじゃないかと思います。
そして、フィナーレというのは「面白い」に越したことはない。
俺にとって「新しい何かを始める」というのはかなり「面白いこと」ですので、試みるだけの価値は大いにあると思うんですが、いかがでしょう?

421cv

『薔薇族』最新号(No.421)発売中!
お求めはこちらから

電子書籍版(PDF形式)421号も発売中
お求めはこちらのサイトから

年間定期購読もよろしくお願いします
お申し込みはこちらから

毎週末「読者茶論」をオープン中
詳細情報はこちらから

都内の『薔薇族』委託店・新宿二丁目/新宿御苑すぐ前「模索舎」
MAPはこちら