東京脱出バナー

俺が「脱・東京の年」を2020年としたのは、この年が「東京五輪イヤー」だからです。
1964年、すなわち「最初の東京五輪イヤー」に生を受けた自分にとって「再び巡り来る東京五輪イヤー」は、なんというか「二度目の生誕年」みたいな感じで、甘酸っぱい思い入れがないわけでもない。

けれども、それ以上に「不安」のほうデカいのです。
その根源となっているのは「ただでさえ混乱してる東京が、ますます混乱することになるだろうなぁ……」という不吉な予感。
おそらくは「オリンピック好況」という共同幻想みたいなものに踊らされたウッカリさんたちが大量に入って来て、今以上にバタバタすると思うんです。

最初の東京五輪イヤーだったら「オリンピック好況」というのもまだ実態があった。
敗戦からまだ19年しか経っておらず、「復旧しきれていない部分」や「復興が見込まれる部分」というのがアチコチにあって、それが多くの仕事を生んだわけです。
けれどもそれから半世紀以上経った現在、こと東京に関して言うなら「これ以上の開発って要るの?」といった感じが強い。

60年代の日本人が急ピッチで埋めていった「余白」は、「埋める道理のある余白」だったと思うんです。
けれども今現在埋められようとしているのは「埋めては危険な余白」である気がします。
人間というのは「効率性のみ追及する」ような生き方には息苦しさを感じる生き物です。
適度な「無駄(非効率)」を挟み込むことでホッとするように出来ていて、それがなかったらやがて精神によろしくない影響が出かねない。

それと同様、街というのも「適度なヌケ」があってこそ安らげるわけです。
ちょっとでも空き地があるとすぐに何らかの建物をはめ込んでいく昨今の東京人は、まるで「空白恐怖症患者」のよう。
中でもそら恐ろしくなってくるのが渋谷や新宿で、「再開発」の名のもとに、やたら大規模なビルを次々と建て続けるところを見ると、病状はかなり深刻です。

公園もいいんですが、個人的には藤子不二雄のマンガに出てくるような「空き地」が点在するような光景に安堵します。
中で何が行われてるのか分からない「空き家」は嫌ですが、効率性のらち外にある、ただポカーンと存在する空き地はなんか好き。
空き地があるのを見ると、「まだ都会にもこういうのを容認できるだけの余裕があるのか」と、ちょっとホッとしますね。

まだ東京に「埋める道理のある余白」があった時代ならば「漠然と上京してもどうにかなった」わけですが、もはやそれが詰め尽くされた現在では「漠然と上京したのではどうにもならない」ケースのほうが多い。
だからこそ、ホームレス状態(路上生活だけではなく、安住できる場所を持たない状態すべてを指す)になってしまう上京者が後を絶たないわけです。
そうした傾向が2020年に向けて更に進むだろうと予想されるから、だから俺は「東京五輪パート2」が本式に動き出す前に東京脱出をすようと考えているわけですよ。

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