東京脱出バナー

21世紀の今日でも「駄菓子屋」自体は世に存在し続けてるんでしょうが、そこで売られている駄菓子のほうは俺のガキ時代(40年ほど前)とは大きく様変わりしてるんでしょうね。
俺の世代が現役ユーザーだった頃の駄菓子屋は、今の感覚で言えば「無法状態」。
毒々しい着色料と素性の知れない甘味料が跳梁跋扈している、かなりファンキーな世界でありました。
マーガリンですらも「危険だ!」と言われるような昨今、「食の安全のためなら死んでもいい!」という人が大勢いるような現代から見れば、たぶん信じられないような低基準。

そんな「遅効性の毒」みたいなものを毎日摂取し続けていた俺らはいつまで生きていられるのか定かではありません。
でもまぁ、食の安全を念頭に置きながら生きてきた人がアッサリ車にはねられることだってあるわけだし、死ぬことを恐れていたら生きてなんかいられませんわ。
「人間は死ぬまで生きる」。
ただそれだけの話です。

話を駄菓子屋に戻しますが、俺の育った静岡市は独自の駄菓子屋文化を誇るエリアでした。
まず、どこの店にもデフォルトで「おでん」があります。
最近は「静岡おでん」というのが全国的なブランドとなっていますが、ネイティブとして言わせてもらえば「おでん屋で食べるおでん」てのはなんか微妙にずれている。
おでんというのは駄菓子屋で食べるのが正道、そんな感じです。
下町育ちの東京っ子が以前、「もんじゃ焼き」について似たようなことを言ってましたね。
「もんじゃってのはガキが小銭握って食いに来るもので、今みたいに専門店で千何百円も払って食うもんじゃない!」

彼の言うもんじゃ焼きに近いのが、俺にとっては「お好み焼き」です。
俺ン家のすぐそばの駄菓子屋は外食メニューが充実していて、店の奥に「お好み焼き用の鉄板」がありました。
30円払うとカップ1杯分のお好み焼きの素が出てきて、ガキはセルフでそれを焼くんです。
俺たちはそれを3~4人でシェアしてましたんで、1人あたり10円前後。
焼きながら、くっだらないことをくっちゃべるのはけっこう楽しくて、思えばそれが「自腹での外食」の初めてでした。

お好み焼きとは言っても、そこはそれ「無法時代」のものですからね。
現代のちゃんとした奴とは全然違う。
これ以上水を加えると固まらない、というギリギリのラインまで薄くした生地に「申し訳程度のキャベツ」と「かろうじて存在のわかる程度の天かす&紅ショウガ」が入っているのみ。
でも、これがミョーに美味くてねえ~。
たぶん「自分で金払って食ってる」という事実にコーフンし、その高揚感が味覚をおかしくしてたと思うんですが、あれほど美味いお好み焼きはいまだかつて食ったことがないス。

その店では他にも「焼きそば」や「ところてん」、夏場には「かき氷」もあって、「駄菓子屋先進シティ・静岡」においてもかなりのハイレベルぶりでした。
だから店には本来の駄菓子屋ユーザーであるガキだけでなく、仕事休憩中のおばちゃんたちとかもやって来て、おでん食いながらおしゃべりしたりして。
今にして思えば、まさに「地域の茶の間」の役割を果たしていたわけですね。
あの光景を記憶している俺は、移住後に、あんな空間を作りたいものだと密かに願っています。
とりあえず、思い出のおでんの味だけは再現したいと思うんです。

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