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地域に新しい風を吹かすのは「若者」「よそ者」「バカ者」だ、という言説は割と広く流布されています。
若者は、地元の慣習にあまり縛られていないので自由に動きやすい。
よそ者は、客観的な目で地域を見ることができるので斬新なアイデアを出しやすい。
バカ者は、恐れを知らないので思い切った行動がしやすい。
このような理由から、「地域改革に有益である」と見られているようです。

もっとも最近では、この言説への反論も数多く出ているようです。
それは「あまりにも広がりすぎたことへの反発」という見方も出来ますし、「若者もよそ者もバカ者もいなかったけど地域おこしに成功したぞ!」というケースが少なからずあったことにも起因するでしょう。
あるいは何らかの苦い経験をし、「若者・よそ者・バカ者はフルコンプリートしたけど、若者はただ未熟で青臭かっただけ、よそ者は地元に馴染まない空理空論を言い続けただけ、そしてバカ者は単なるバカでしかなかった」と苦々しく語る地域もあるかもしれません。

若者・よそ者・バカ者を「地方創生の万能(特効)薬」みたいに過剰評価してしまっては、そりゃ失敗するでしょう。
日本人は「救世主待望論」が強い民族だなぁ、と思わされることが多い(特に選挙がらみで)のですが、残念ながらこの世の中に救世主サマなんていません。
時おり「救世主的な見られ方をする政党や政治家」というのが現れますが、ホントにそうだった試しはないでしょ?
ちょっと前まで「神サマ仏サマ」みたいに言われていた人間が、いまや「ドロボー」呼ばわりされている・・・みたいなケースはかなりあります。
大衆というのは期待が大きかった相手ほど、失態を見せるや手ひどく叩くものなのです。

若者・よそ者・バカ者にしても、救世主とか思ってしまうのは大間違い。
でも、「だから不要」と言い切ってしまうのも早計です。
色んなタイプの人間がいたほうが多岐にわたるアイデアが出るのは間違いないし、似た者ばかりでは「思考の近親相姦」が起きてしまうのは自明の理。
そうした意味で、「若者・よそ者・バカ者」にもソレナリの存在意義はあると思うし、「いないよりはいたほうがよくない?」と言いたくもなります。

ちゅう感じで、竜超は熱海・湯河原エリアを「よそ者パワー」で盛り上げていく勝手連「熱湯ストレンジャー」を立ち上げました。
「熱湯(熱海&湯河原)エリアを面白くしていくこと」を目的とした「ストレンジャー(よそ者)集団」です。
現時点でのメンバーはまだ3人ですが、これからどんどんスカウト活動をして増やしていこうと思っています。

俺の場合、「若者」にはあてはまりませんが「バカ者」ではあるので、普通の「よそ者」の倍のパワーがあるんじゃないか、と内心ニヤついてます(←こーゆーところがまさにバカ)。

ブック 1.indb

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