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最近の世のお父さんたちというのは基本よく喋りますねェ。
子連れで歩きながら、ずっと何やらしゃべり続ける姿を見ていると、「あの人はじつは『父親っぽく見えるツアーコンダクター』なんじゃないか?」とか思ってしまいます。

昼ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日)の中で、藤竜也氏扮する秀サンが、興奮しながらファントークをしてくる若手男優に向けて「・・・ぺらぺらとよく喋りますねェ。男は一生に二言も喋れば十分です!」と言い放つシーンがありましたが、さすがに「一生に二言」は少なすぎるでしょ。
とはいえ、無駄にしゃべりすぎる父親というのもちょっとねェ。
いや、フェミ旋風吹き荒れる昨今では「男は黙ってサッポロビール」みたいなノリは不興を買いまくることはわかってるんです。
だけども子ども、特に息子に対する父親は、あまり多弁すぎないほうが上手くいくような気がします。

自分の場合、父親はそうは喋りませんでした。
そして何を喋っていたかといえば、ほぼ「謎かけ」です。
「コレコレこういう現実がある。これについて、お前はどう思うか? どうするか?」みたいなクエッションを物心ついて頃からぶつけ続けてきて、その後のフォローは特にありません。
「自分の人生は自分のもの。どう生きるか、どう動くか、それは自分自身で考えて決定せよ」となるわけですね。
子ども時代は「なんて無責任な」と思ったりしましたが、40年近く経ってふりかえれば「そのおかげで今の自分が出来上がっている」ので結果オーライなんでしょう。

多弁すぎる父親は、問題を出さず答えばかり吹き込んでいる印象です。
そういう育てられ方は「楽」かもしれませんが、時間が経って「司令塔」たる親がこの世からいなくなった時に怖い気がする。
あるいは、自我が確立された頃に「なんで一から十まで指図すんだヨ!」と怒りがわき上がるかもしれません。
もちろん、親子の相性というものがあるから、ウチのようなやり方(文科系スパルタ方式)だとパニクってしまう子どもだっているでしょう。
でも、ユルイ感じでもいいので「自分で考えて決める」というのを幼少期から習慣化していけば、たぶん大人になってもあまり困らないと思います。
実際、俺はたいていのことには動じませんし、「ま、どーにかなンだろ」と思えます。

余談ですが、そんな親父も還暦を過ぎた頃から弁が増えていきました。
歳をとって、若い頃ほど体裁を取り繕えなくなったようです。
「わが子をどうにか一人前に育て上げた」と実感できたことで緊張が解けてコワモテを演じられなくなった、と言ってもいいかもしれない。

親の本質というのは結局「子煩悩」というヤツだと思います。
だからこそ、まだ若くて突っ張れるうちは「畏敬の対象」であって良いと思うのです。
「甘い親」という本性をあらわにするのは、わが子をそれなりに自立できる段階まで鍛えあげてからでいいのでは?
そのようなことを考えながら、今日も若きツアコン父さんの後姿を眺めているのであります。

425表紙モノクロ

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