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日本でもポリコレ旋風が吹き荒れだしたのと連動して、芸人のギャグが非難の遡上にあげられる機会が増えています。
中には「誰も傷つけない笑いがつくれないなら、お笑い界なんてなくなればいい」みたいな物言いをする「人権家」がいたりしますが、ジョーダン言っちゃいけませんやな。

笑いってのは基本的に「他者の滑稽なサマ」を見た時に生まれるもの。
滑稽なサマとはざっくり言えば「しくじり」で、初歩的なものでは「言い間違え」とか「転ぶ」とかね。
だからコメディアンはよくその手で笑いをとります。
とはいえ、そればっかりでは飽きられるし、そもそも達成感が得られないから、芸人サンも色々と考える。
結果、日本のお笑い界は現在のような状態に至ったわけです。

人の世というのは結構イヂワルなものだし不条理にも満ちているから、そこから題材を求めれば当然ながらシニカルな笑いが生まれます。
それは研ぎ澄ますほどに面白くなりますが、同時に辛辣さも増す。
そういうのがポリコレ族の癇に障るわけですが、だからといって「隣の空き地に囲いができたってね。へー」みたいな牧歌的なネタばかりやってるわけにはいきません。

というか、「隣の空き地に囲いができたってね。へー」だって「絶対に誰も傷つけない」とは言えないわけです。
世間には色んなヒトがいるから、中には「空き地に囲いをつくるなんてヒドイ! そこしか遊び場のない子どものことを考えたことがあるんですか!?」みたいな抗議がくるかもしれない。

だからね、笑いの道を志すヒトは「俺のネタが誰かを傷つけるかも」と自覚し、重い十字架を背負う覚悟でやらなきゃならないんです。
そうでなければ、いちいちい抗議を受けるたびに厄介な騒動が起きてしまうし、下手に謝ったりしたら今後のお笑い界のためにもならない。
「落語とは人間の業の肯定である」は故・立川談志の遺した至言ですが、「人間の業の肯定」というのはお笑い芸全般を指しているんだと思います。

人間の業、つまり「我々のダメなとこ」を全否定して切り捨てるのがポリコレ。
その逆に「肯定する」のがお笑い界。
両者が折り合いをつけるのはほぼ不可能なんだから、ここはもう「開き直っちゃう」しかないんです。
「お前のネタが人を傷つけた」と言われたら、「だから?」と返しときゃいい。

「誰も傷つけない笑いがつくれないなら、お笑い界なんてなくなればいい」と考える人間がいてもいいし、「たとえ誰かを傷つけてでも俺はウケたい」と願う人間がいたってかまわない。
どちらも存在しうる世の中が「多様性のある社会」なんだと思います。

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