東京脱出バナー

「差別」というのがよろしくない行為であることは、たぶん小学生でも知っています。
というか、「差別」という言葉を習う際には、「よろしくないこと」という意味と一対で教えられると思います。

ただ、「よろしくないこと」だとは百も承知していても、人間は差別をしてしまう生きものです。
それは、「差別はいけない!」をスローガンにしている団体のメンバーでも例外ではありません。
以前、「ヘイトスピーチ反対!」をテーマにした集まりを見に行った際、「愚かなるレイシストたち」という思いっきり差別的なフレーズを見てひっくり返った経験があります。
それを書いた人はホントに無自覚だたっと思いますが、やっぱり人間て「差別の連鎖からは逃れられない生きもの」なんですね。

差別はいけないとして、では「拒絶」はどうなんでしょう?
人間て、誰にも「絶対に受け入れられないこと(もの)」というのがると思います。
そういうものから我が身を守る術として、私たちは「拒絶」という手段をとりますよね。
それは、いうなれば「近寄って欲しくないものを遠ざける為の結界」です。

ところが昨今は「差別」のみならず、この「拒絶」まで「悪だ」と言い始めています。
「たとえ何であろうと拒絶などはせず、広い心で受容せねばならない」
このようなことを言ってくるのです。
それはたぶん「他者を拒絶することも差別の一種である」という理屈に沿ったものでしょうが、そこまで言ってしまうともはやモラハラの域に入ると思うんですよ。

俺の感覚では「こちらのことを好こうが嫌おうが拒絶しようが構わない。悪質な妨害とかさえしてこなければ・・・」という感じですかね。
自分にとっての世の中は、一部の「好き」と一部の「嫌い」と大多数の「どーでもいい」で構成されたものですんで、「どーでもいい」に属する人たちの感情とかは「気にしない」し「気にならない」。

なんかも~世間全般が生活指導教師みたいな感じになってしまってホントにめんどくさいなぁ。
前髪の長さとかスカート丈をトヤカク言うみたいなこと、言わんといてくださいよ!

427モノクロ

『薔薇族』最新号(No.427)2018年4月21日発売!
お求めはこちらから

電子書籍版(PDF形式)427号も発売中!
お求めはこちらのサイトから

年間定期購読もよろしくお願いします
お申し込みはこちらから

神奈川・湯河原にて「読者茶論」をオープン
詳細情報はこちらから

都内の『薔薇族』委託店・新宿二丁目/新宿御苑すぐ前「模索舎」
MAPはこちら