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最近は「幸せだ」という感情の取り扱いが難しく、すなおに表現したりなんかすると、「おやおや、幸せ自慢ですか。世の中には不幸な人間が大勢いるってのに・・・」的なネガティヴ感情がぶつけられてしまうらしい。
ならば「自分は不幸だ」と言えばいいかといえばさにあらずで、「おやおや、不幸自慢ですか。世の中にはもっと不幸な人間が大勢いるってのに・・・」みたいなカラまれ方をしてしまうのです。

SNSで幸せ報告をした著名人がこの種のカラまれ方をして「浮かれてスイマセン」みたいな謝罪をするケースが時おりあるが、な~んか変な話。
「だったらSNSなんかでつぶやかなくてもいーじゃん」とも思うが、カラみたい人間はどんな手を使ってもカラんでくるので、単に「つぶやき方の問題」というわけではないのです。

人間は自分の生い立ちや境遇について考える時、ついつい「損してる(損してきた)」と捉えがちです。
それが「ホント」なのか「思い過ごし」なのかは一概には言えませんけど、たとえ不遇な人生を送ってきたとしても、あまり悲観的にはならないほうが良いと思います。
人間には「今のように生まれついた理由がある」と信じているからです。

恵まれた生き方をしてきた人は「屈託がなく、万事にゆとりを持って接することができる」ので、物事の全体を理性的に捉えやすい。
不遇な生き方をしてきた人は「万事に油断がないので、ちょっとしたミスも見逃さない」という強みがある。
このように、生い立ちから得たものは「自分ならではの武器」に転化できるわけですね。

ただ、現実はそうそう上手くはいきません。
恵まれた生き方をしてきた人は「幸運を『当たり前のこと』としか捉えず、他者への思いやりに欠ける」傾向があるし、不遇な生き方をしてきた人は「周囲へのねたみ・そねみに囚われがち」だったりする。
「死蔵される資質」というのは、ホントにもったいない話ですね。

境遇の上にあぐらをかくのも、境遇を恨んで生きるのも勿体ない話です。
まずは一度、「どうして自分はこういう境遇に生まれついたのか」について深く考え、「こんな自分だからこそできることはないか」と自問自答なさってはいかがでしょ?

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