いまの平和と自由を自覚すべし

5月18日(土)、「早稲田奉仕園」で開かれた『Call Me kuchu ウガンダで、生きる』の上映会へ。アフリカ中部・ウガンダで2009年に議会提出されたという「性的少数者を死刑にできる法案」をめぐる、かの国の人々の姿を描いたドキュメンタリー映画である。

作中には、なんとしても法案を可決させようと画策するアンチ同性愛派のマスコミ人・政治家・宗教家などがいろいろと登場するが、いずれもアッパレなまでの悪役っぷりを発揮していて仰天(中でもゴシップ系新聞の編集長が、70年代刑事ドラマの悪役級のふてぶてしさでスゴイ!)。どれほどの悪意・敵意・害意を持っていても表立って見せることのない日本人にはとうてい真似できない芸当である(ある意味、そのストレートさに感心した)。

ウガンダにおける「非異性愛嫌悪感情」は、かつて植民統治していたイギリスが持ち込んだ倫理観によるものだというが、勝手に広めた側がソレをさっさと撤回して同性結婚容認の方向へと大転換したりしているのは悪い冗談みたいな話である。上映後、そういった背景を説明したうえで、「同性愛などをタブー化しようとするウガンダ保守派が悪、それに反対している西洋諸国が善、というような単純な構図ではない」と補足説明をしていた主催者側の理性的な対応は評価できるだろう。

日本・近隣諸国・欧米を巻き込んでずっとくすぶり続けているキナ臭い問題にしても、ウガンダのソレと同様、帝国主義と植民統治が世界の趨勢(すうせい)だった(この世が侵略する強国と支配される弱国とに二分されていた)時代にまでさかのぼり、私怨やらヒイキ目やらを排除した思考で時系列に沿って捉えていかないとぜったい解決できない。世の中というのは善悪だとか白黒だとかに分かれているものではないので、誰かに良いモン、誰かに悪モンのレッテル貼りをして片づけようとすると間違いなく間違うのだ(ややこしいなァ)。

我々が享受している戦後日本の平和や自由は「国民が戦って勝ち取った」ものではなく、敗戦の副産物として「棚ボタ的に手に入ってしまった」ものなのでアリガタミというのが希薄なのだが、世界には「好きな相手をおおっぴらに愛する自由」すら謳歌できない国がまだまだある。そのことを理解して自覚しながら生きていかないと、いつか泣くことになるかも知れませんゼ。いや、ホントに。

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