優等生にはなれないけれども

優等生とは本に書かれていることを暗記するのが得意な人々であり、その才能こそが「優等生」の誉れのもとになっている。あいにく僕は子どもの頃からソッチ方面がガラ空きなのだが、しかし特にそれを悔やんだ経験はない。本に書かれていることを暗記できない代わりに、本に書かれていることの真偽を検証する能力が僕にはあって、それが現在の仕事につながっているのである。

優等生の脳が「覚えることに特化している」のに対し、僕のそれは「考えることに特化している」わけであって、この違いはいうなれば「魚類に備わった泳力」と「鳥類に備わった飛行力」みたいなモンだ。持って生まれた特性を嘆いたり、他者の特性を妬んだりするのはナンセンス以外のなにものでもない。

昨今は「多様性」というものが各所で重視されているにもかかわらず、多くの人が憧れる対象(職種だったり、ライフスタイルだったり)がいまだ一カ所に集中しがちなのは不思議である。むしろ多様性なんてコトバすらなかった昔のヒトのほうが「駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人」なんてフレーズを作り出し、「世の中ってのは色んな立場の人たちが混在することで成り立っているンだよね」と悟っていた感じだ。いまは駕籠に乗りたがる人ばかり多すぎるのだ。

学歴にしろ職業にしろ、各人が自分の適性に応じて気楽に選択できる世の中になれれば、楽に生きられる人が増えるだろうになァ・・・と思う。そのためには「どんな仕事をしたところで屋根とフトンくらいはついてくる」ような世の中にしていく必要があるのだが、価値観というのが極端に不安定な現代ニッポンを見ていると、国に頼ってもムダかなァ・・・といった気分にとらわれる。ここはやっぱり各人がそれぞれ自分にとっての幸福感を自覚し、自己流の達成法を「考えて」いくことが肝心なんだよネ。

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