変わらないものには関心がない。

変わらないことは罪悪だ・・・とまで云うつもりはないけれど、「変わらないものには関心がない」ことは確かである。僕のマンネリ嫌いというのは我ながら病的で、たとえばどこかへ出かけるときに「行きと帰りに同じ道を通る」と考えるだけでユーウツになってくるのだ(だから必ず往路と復路とは別々にしている)。

しかし世の中に僕のようなタイプは少ないらしく、いったん定めた方式を「誰かに『変えるな』と脅迫されてるんじゃないのか?」と疑いたくなるほどかたくなに踏襲し続けている人や団体が多い。それがたとえば「老舗の味」とか「平安時代以来の伝統祭事」とかいうのであれば、まァ「変わらない」ことがアイデンティティと云えるのかも知れないが、社会運動だとか政治団体なんかであれば「変わらない」というのは奇異である。だって世の中というのは日々刻々と変わり続けているものなんだから。

僕は「ヤジ馬根性」というのを何よりも大切にしている。というか、ヤジ馬根性ナシには行動できない体質なのである。たとえば何かのイヴェントを観に行くときでも、どこかでボランティアをするときでも、あくまでもヤジ馬として出かけて行って「覗き見」してくる感覚なのだ。もちろんイヴェントならばちゃんと列に並んで正規の木戸銭を払うし、ボランティアだったら人一倍マジメに仕事はしますヨ。でも視点はあくまでヤジ馬のそれなのだ。

残念なのは、最近は僕のヤジ馬根性を満たしてくれるような物件が少ないことである。それはつまり、悪い意味で「変わらない」人・団体・イヴェントが多い、ということだ。僕にとっては「変わらない」ということは「死んでいる」にも等しい。・・・あ、いや、ホンモノの「死骸」であれば腐敗したり、他のイキモノに食われたり、風化したりして「刻々と変わっていく」から、観察する楽しみがあるよなァ。

なんか話が横道にそれてしまったが、僕のヤジ馬根性を充たしきってくれるような変化性に富んだ「何か」を探しております。もちろん僕も積極的に見つけには行きますが、「コレは絶えず変わり続けているゼ!」というミナサマからの情報提供も大歓迎! ・・・ただし移り気なオトコなんで、「竜サン、これは変化性に富んでて面白いですよ!」とか教えていただいても、「・・・あ? 何スか、それ?」と、すでに関心事が移り変わってるかもしれませんが。

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