義務教育なんて基本「雑談」だけででイイ。

国民、とりわけ若い世代の民度を下げているのは「受験突破を前提とした教育体制」であると思うのです。「学校に通うこと」が「大学へ上がる(=大手企業の一員となる)」こととリンクするようになって以降、まず起こったのは「そのリンクを否定する者の排除」であり、それはつまり「落ちこぼれ、と位置付けられた生徒からの居場所の強奪」。その結果、ある者は校内暴力に走って学校側と徹底抗戦し、ある者は登校を拒否してそのまま引きこもりへと進行し、ある者は手近なウップン晴らしとしてのイジメ行為にふけるようになりました。

けれども最大の罪はなんといっても「思考力を養うチャンスを奪った」ことでしょう。思考力というのは脳がいちばん柔軟な時期に様々な事柄についてひたすら考えたり、その疑問を周囲と共有しながら議論することによってしか鍛えられません。そしてその疑問というのは、クダらなければクダらないほどイイ。若いうちにたくさんの瑣末な問題で悩んでおくことは脳の良きトレーニングとなり、その成果は将来、重要な課題に取り組む際にあらわれるのです。ところが近年の「受験特化教育」は思考をないがしろにしてひたすら「暗記」ばかりを強要するので、するべき年代に必要な儀式を経験してこなかった人間を量産してしまう。

そういった経緯を考えれば、選挙の投票率が年々歳々低下していることなんか理の当然というものです。「選挙とはどういうものか」であるとか、「どうして投票が必要なのか」といった基本的な事柄を考えたりする機会も余裕も与えられていないのですから、選挙の必要性なんか感じられるわけがない。

だから僕は義務教育というのは、読み書きと九九さえマスターしたら、あとは基本的に「雑談」に終始していいと思うのです。毎日なんらかのテーマが生徒の側から出されて、それについて日がな一日カンカンガクガクやらかす・・・みたいなことをしていけば、若い脳は徹底的に揉みほぐされて活性化し、思考能力は否応なしに発達するでしょう。高等教育なんて皆が皆、画一的に受ける必要はないし、向学心のある人間は誰に云われなくても勝手に学んでいくモンです。上の学校にはそういう「進学の必然性のある人間」だけが行けばいいし、必然性があるのに経済的理由で進学できないようなケースについては社会がサポートすればいい。

いまの日本の急務は、一にも二にも「国民のベーシックな知性の底上げ」です。知性の養われていない者がやみくもに知識ばかりを蓄えていった結果が、現在のわが国の「仏つくって魂いれず」状態なんですから。いやホントに。

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