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竜超版『薔薇族』について

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竜超版『薔薇族』とは、創刊編集長・伊藤文学からバトンタッチされた二代目編集長・竜超(りゅう すすむ)が2011年7月から発行している『薔薇族』(No.400~)のことを指します。現時点では季刊(3カ月に1号)ペースの発行ですが、できるだけ早くの「隔月化」を目指しています。そのためには定期購読者を増やすことが不可欠ですので、通販サイト「薔薇族WEB商会」より、なにとぞお申し込みを!

◎竜超版『薔薇族』は、こんなスタイルで制作しています。

1971(昭和46)年7月に創刊された『薔薇族』は、「日本初の商業同性愛マガジン」であると同時に「流浪の旅を続ける雑誌」でもありました。2004年まで出されていた第一期の「第二書房版」(No.1~382)、2005年に8冊出された第二期の「メディアソフト版」(No.383~390)、1号しか出されなかった第三期の「ナビゲイター版」(No.391)、創刊編集長・伊藤文学が身銭を切って出した第四期の「ポケットマネー版」(No.392~399)と、その時々で発行元を変えながら継続してきたのです。

No.1~399までの編集・発行人は伊藤前編集長でしたが、誕生から満40周年となる2011年7月に、二代目編集長の竜超(りゅう・すすむ)へと引き継がれました。そして、現在刊行中の第五期「竜超版」(No.400~)が生まれたのです。竜超版『薔薇族』は、伊藤文学版とは趣が大きく異なります。ヌードグラビアや官能読物といった「エロス系コンテンツ」は載っておらず、たとえて云うなら「ライフスタイル誌」と「オピニオン誌」と「サブカルチャ―誌」の要素をミックスしたような内容なのです。

◎竜超版『薔薇族』は、セルフ・プリントによる「ハンドメイド・マガジン」です。

竜超版『薔薇族』は、同性愛マガジンとしてはかなり異端な存在ですので、いっきに部数を伸ばすことは考えず、「掲載テーマに関心を持つ読者をジワジワと増やしてゆく」という長期的戦略をとっています。そのため、従来の雑誌のように「一度に大量部数を刷る」ことができません。そんなやり方をすれば、たちまち在庫の置き場に困り、「長いスパンでの読者開拓」などは夢のまた夢になってしまいますから。

そこで行き着いたのが、アートディレクターの猪口コルネが提案してくれた「舎内プリンターによるセルフ印刷&セルフ製本」というスタイルなのです。カッコイイ云い方をするならば「オンデマンド出版」となるわけですが、これならば「必要となったときに、必要な分だけ刷ればいい」ので、ほとんどの出版社を悩ませている「過剰在庫」の問題とも訣別できます。

出版界では通常、一定期間内に期待したほど売れなかった本は「絶版」となり、場所ふさぎの在庫は「断裁」されてしまうのです。そうなると、もう古本屋を探す以外に、その本を入手する術はなくなってしまいます。けれども当舎のスタイルならば、絶版も断裁もありません。たとえ何年前、何十年前の号であっても「欲しい」と云われれば、すぐに印刷・製本して、欲しい方に手渡すことができるのです。

「老後の安心」「日々の健康」「少年愛(者)バッシング」「政治との向き合い方・関わり方」等々、派手ではないけれども普遍的なテーマを取り扱っている竜超版『薔薇族』にとって、「ひとつの号を半永久的に売り続けることができる」現在の制作スタイルは、まさに理想的と云えます。大海原を小舟で航るような冒険をしている当舎において、大切なのは「できるだけ身軽な装備で、体力を温存しつつ、いつまでも進み続ける」ことなので、これほど理にかなったやり方はないわけです。

◎竜超版『薔薇族』は、いっさい「広告」の載っていない雑誌です。

かつては全誌面の半分近くを占め、『薔薇族』の陰の主役とも呼ばれていたバアやAVの「広告」が、竜超版『薔薇族』にはいっさい掲載されていません。広告というのは「宣伝したい事柄を、より広範囲へ、より短期間で伝達する力」が要求されるものですので、現在の私たちのスタンスとはそぐわないのです。

「広告を載せていない」わけですから、ほとんどの雑誌が頼りにしている「広告費」が、竜超版『薔薇族』には入ってきません。したがって、その制作費は必然的に「売上金のみで全額をまかなう」ことになります(バブル期には潤沢な広告費のおかげで「一冊も売れなくても大黒字!」なんて雑誌も珍しくありませんでした)。この状態は、たしかにビジネス的にはキビシイものではありますが、反面、メンタル的には極めて「楽チン」と云えるのです。

竜超が大きく影響された雑誌のひとつである『暮しの手帖』(暮しの手帖社)は、「誰にもおもねらない批評メディア」として、1948(昭和23)年の創刊時から今日に至るまで、自社関連以外の広告をいっさい載せていません。広告主(スポンサー)からお金を受け取ってしまうと、どうしてもそちらへの遠慮が生じ、ホンネでの発言の妨げとなるのです。多額の広告費がやりとりされる大手マスコミになればなるほどその傾向は強まり、おかしいものを率直に「おかしい!」と云えなくなったりします。

かつての『薔薇族』には毎号たくさんの広告が載っており、それは「同性愛者のためのイエローページ」といった役割を果たしていました。そこから得た情報に救われた方も数限りなくいるわけですから、広告掲載の意義そのものを否定するつもりなどは全くありません。あくまでも「現在の『薔薇族』では必要としていない」というだけの話なのです。まァ、「広告を載せたいと思ってもスポンサーのなり手がない」とも云えますが、偶然ながらでも、せっかくこうした実験的なスタイルに到達できたわけですから、いまはそんな状況をトコトン面白がりたいと思います。

◎竜超版『薔薇族』は、こんな方には購読をお勧めしません。

前記の理由から、「エロスの要素を欲しておられる方」や「広告情報をお求めの方」には、竜超版『薔薇族』の購読はお勧めいたしません。そうしたコンテンツは他の商業誌にたくさん掲載されていますし、インターネットにつなげば無限に近いような量が得られるのですから、どうぞそちらのほうをご利用ください。

けれども、「同性愛者である以前に、人間として豊かな生き方をしたい」と考えておられる方には、ぜひとも読んでいただきたい! 誌面で取り上げるのは竜超が「これは看過できん!」と感じたもの(日常生活上のささいな問題や、被害者意識に囚われない非異性愛社会との向き合い方など)に限られますが、毎号さまざまな問題定義をしていますので、そこから何かを感じ取り、ご自身の道しるべ(あるいは反面教師?)として活用してもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。

何やら偉そうなことを云ってしまいましたが、「ひとりでも多くの方のお手元に『薔薇族』を届けたい!」という気持ちはとても強いのです。一部の委託販売店や即売イヴェントを除けば、購入前に手に取って内容を確認することができない雑誌ではありますが(スミマセン)、どうぞ試しに一冊お求めになって、どのようなことが書かれているのか知ってみてください。

◎竜超版『薔薇族』は、新陳代謝を繰り返す「血の通った媒体」です。

『薔薇族』が創刊されてから、すでに40年以上の歳月が流れています。その間に景気は乱高下を繰り返し、社会状況も激動の変化を遂げました。それに伴って「同性愛者にまつわる問題」というのも、大きく様変わりしています。中には「ほぼ解消できたような問題」もありますが、その一方で「新たに浮上してきた問題」なんていうのも存在し、つまり「問題の質は変われど、総量は変わらない」状態なわけです。

同族コミュニティ内にのみ居場所を求めてしまうと、似た者同士で群れることでもたらされる「安堵感」が「思考停止」を誘発する危険があります。そうなると、同性愛者にまつわる問題というのも「パターン化」「矮小化」されてしまいがちです。けれども当たり前ですが、悩みの本質というのは各人それぞれ異なるわけで、「同性愛者共通の悩みは××だ!」なんて乱暴なことは、とてもじゃないけど云えません。たとえハタ目には同じことで悩んでいるように見える2人であっても、処方すべきクスリは全然違っているケースはザラにあるのです。

竜超版『薔薇族』のテーマは、その時々の社会情勢とリンクしたものなので、ひょっとしたら10年後には、現在とは全く違った事柄に対して警鐘を鳴らしているかもしれません。でも、それで構わないと思うのです。世間全般にアンテナを張り、雑多な情報を受信し続けていれば、価値観も問題意識も日々変容していくのが当然なのですから。むしろ、何十年間もずっと変わらぬ問題意識しか持たない(持てない)ことのほうがおかしい気がします。「ブレない」と云えば聞こえが良いですが、要は「思考が硬直してしまっている」わけですから。

竜超版『薔薇族』というのは、人間と同じように呼吸して、新陳代謝を繰り返す「血の通った媒体」でありたいのです。ですから、時にはきっと「間違う」ことや「行きすぎる」こともあるでしょう。それは仕方ないことだとしても、もしも途中でおのれの誤りに気が付いたら「隠さずに詫びられる素直さ」と「臆さずに引き返せる勇気」だけは、常に持ち合わせたいと思います。

◎竜超版『薔薇族』は、自覚と誇りををもちながら「偏って」います。

「雑誌とは、公明正大で中庸(ちゅうよう)な存在でなくてはならない」。こんな物云いに、竜超版『薔薇族』は反発します。「何に対しても中立な在り方」なんてものは、神サマでもない限り実現できるわけがないからです。人というのは必ずどこかに「偏っている」もので、だからこそチャーミングなのです。竜超は「自分が偏っていることを常に自覚し、生身の人間ならではの有機的な発言する」ことを心がけていますが、このあたりに無自覚な媒体人は、ときに神の視座に立ったかのごとき報道などをして赤っ恥をかいています。

開き直るわけではありませんが、竜超版『薔薇族』は、竜超という未熟な一個人の「私見」に基づいたナマグサイ媒体です。そのため、「ずいぶん偏ってるなァ」とあきれられることも多いかと思います。しかし、それこそが「血の通っている」ことの証なのです。ですから、そういった部分を雑誌の「持ち味」として面白がることのできる「成熟した方々」にこそ読んでいただきたいと思います。

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